プロフィール&ストーリー
2015年・柔道整復師免許取得
2019年・社内症例発表最優秀賞
2023年・関節トレーニングインストラクター資格取得
2024年・関節トレーニング教室を開催(北海道柔道整復専門学校/主催)
2025年・関節トレーニング教室を開催(合同会社ハーヴェスト様/主催)
2025年・JTAフラッシュリプロ療法(修了予定)
機能訓練型高齢者介護施設に勤務しながら、
『一つの関節から、
元気の連鎖をつくる。』
という自身で決めた生き方をテーマにして、関節トレーニング教室や訪問施術の活動をしています。
摩周湖や大自然に囲まれた、北海道・弟子屈町の出身です!
小学生の頃は、車が好きで小学生6年生で、国産車の車種を全て分かるくらいになっていました。
中学と高校はバレーボールに熱中し、活発な学生生活を送っていました。
高校卒業後は大手自動車会社の地元営業所に就職し、整備士として勤務。
迷走の20代
好きな車の世界に足を踏み入れたのですが、仕事に身が入らず、、、
毎日のように友人と酒を飲み遊び回っていました。
仕事のミスも多く、職場に迷惑ばかりかけていた20代前半。
そんな中でも学生時代には全く勉強してこなかった自分が、国家二級整備士の試験に合格。
「努力すれば結果が出る」
この当たり前の事を、社会人になってから学びました。
24歳の時、実家暮らしで、身の入っていない仕事を続けながら、このまま歳を取っていくだけの人生を想像し、
焦る気持ちが急に湧いてきました。
『このままじゃ、まずいことになる、人生を変えたい」
言葉にならない漠然とした不安の解決方法を求めて、大型書店で数冊の本を購入。
本に書いてあった心に刺さった言葉―
「成功する人は、誰かがテレビを見ている時間、酒を飲んで遊んでいる時間、寝ている時間に、勉強や仕事をしている。差がつくのは当たり前だ」
『完全に遅れを取っている!やばい!』そんな事に気付かされた言葉でした。
「今、自分が考えている未来は過去の延長線のレールの上にある。未来を変えたければ、自分が想像できないことをする」
『レールを変えたい!』
そう思いながら、知らないレールや、分からないレールに、路線変更をするには、勇気が必要だと感じました。
『何が欲しい?何がしたい?』
この言葉がシンプルに刺さり、
当時の自分は、お酒が好きで、興味があったので、
『地元に本格的なBARを作って皆を楽しませたい!』
『まずは修行せねば!
バーといえば銀座!』
大手自動車会社を退職し、
『地元に本格的なBARをつくる!』
という夢を胸に上京。
(上京後、浅草はタンクトップです)
知人の紹介を受けて、最初はビルメンテナンス会社の社長のお世話になり
初めての寮生活。
深夜のコンビニ清掃、商業施設の清掃、日中のビル清掃
3日間、寮に帰れず倉庫で数時間仮眠をとっては、次の現場へ向かうことも度々ありました。
社長からは、
『ここは、お金を使う暇もないくらい忙しいから、事業資金を貯めるなら丁度良い。寮に入って、まずはここで働いてお金を貯めろ』
と言われていましたが、
社長や知人に恩を仇で返す形になるのを知りながらも、
『バーテンダーの仕事が
したいんです!』
社長に懇願し3ヶ月で退職。
そして、銀座のバーに就職しました。
(バーテンダーなりたての頃)
寮から出て初めての一人暮らし。
ゴミの分別さえ分からず、小分けにしてコンビニに捨てに行った事もありました。
『身の入った仕事をやっていくぞ!』と、覚悟を決めてバーテンダーの仕事をしました。
バーテンダー2年目には渋谷の新店舗の店長を任され、店舗立ち上げから携わり、朝から晩まで働く充実感を味わいました。
地元に戻らず、遠距離恋愛をしていた彼女を東京に呼んで結婚。
しかし、夜働く自分と昼働く妻の生活は、すれ違いの連続でした。
駅のホームで、
「おかえり、行ってきます」
「ただいま、行ってらっしゃい」
平日は、こんな日も多くありました。
結婚して、仕事を頑張りながら、妻と幸せな新婚生活を想像していたのですが、
幸せな結婚生活どころか、知り合いもいない東京で一人にし、寂しい思いをさせてしまっていただけでした。
『こんなハズじゃなかった!何とかしなきゃ!』と焦る気持ちが大きくなり、自分の気持ちに余裕がなくなり、仕事も上手くいかなくなっていきました。
自分の知らないうちに
気が付かないうちに
『地元で本格的なBARをつくる!』という夢は、ドンドン小さくなり…
バーテンダーを辞めました。
『夢の実現の反対は夢ではない現実』
生活をしていく為に、
カレーの宅配の仕事をしましたが、
長くは続かず、、、
義理の父から、お叱りの電話。
追う夢もなくなり、東京に居る理由もなくなりました。
そんな中、幸せな事が起きました。
妻のお腹には、
新しい命が宿っていました。
「これからは家族のために生きよう」
のびのびと子育てするため、北海道の札幌へ戻りました。
知人に紹介してもらって、やっとの思いで就いた、コールセンターの仕事をしながらも、
『このままの仕事で良いのだろうか』
と考える事も多くなり、
実家暮らしの時に感じた、言葉にならない漠然とした焦りと不安が、また込み上げてきました。
その時に、中学の頃から同級生の妻がかけてくれた言葉が、
『ずっとバレーボールをやってきたから、筋肉とか身体の動きにも興味があるみたいだし、健康とか食べ物の関心も強いから、医療系の資格を取ったらどう?医療系の仕事なら収入も安定してるし。」
この言葉から、
ただ、やりたい!っていう事ではなく、普段から自然とやっている事に、エネルギーを自然に乗せられるような仕事をする!
このイメージをもらい、
見つけたのが、「柔道整復師」という道でした。
28歳で柔道整復専門学校の夜間部へ入学!
仕事 9時〜17時
学校 18時〜21時
『奨学金を借りたし、失敗したら、取り返しがつかない、、、』
『こりゃもう、やるっきゃないな、』
と、覚悟を決めて勉強しました。
2年生の時に二男が誕生。
3年生になると、テスト前の日曜日は朝5時から8時までマクドナルドで勉強しました。
気づきと土台作りの30代
家族に支えられ、無事に国家試験に合格し卒業。
30歳で柔道整復師の道を進み、機能訓練型の介護施設に就職。
トリガーポイント療法、歩行分析、運動連鎖、筋膜、関節矯正、皮膚運動学、流行りの治療テクニックなど、同年代の治療家よりも遅いスタートだったので、遅れを取り戻さねばと、知識や技術を幅広く学ぼうと必死でした。
そうして出会った、笹川先生の関節トレーニング。
自分自身が完全に納得できる、つじつまの合う運動理論と最も効果的な治療技術でした。
社内の症例発表会では職場の仲間に支えてもらいながら最優秀賞を受賞。
10年間、高齢者の方々の施術や運動に携わり、
「痛みなく過ごせるように」
「日常で痛みなく動けるように」
「やりたい活動を、とことんサポートして動きやすくなるように」
高齢の利用者さんの痛みや思いに真っ直ぐに向き合う。
それが今までの大きなモチベーションでした。
やっとスタート地点の40代
三男、長女も新たに授かり、気がつけば大家族になっていました。
生まれてくる命。終わりゆく命。
繰り返すエネルギーの循環を目の当たりにしていくうちに、もっと大きなモチベーションが生まれました。
『一つの関節から、
元気の連鎖をつくる。』
自分ができることの最小単位は一つの関節を元気にすること。
元気になった人が誰かを元気にして、巡り巡って自分も元気にされて、また誰かを元気にしていく。
この「連鎖と循環」を繰り返し、元気な人が増えて、今は高齢者と呼ばれる人達が作りあげてくれた日本が、私達が生きていく日本が、これから元気になっていくように。
そして、この「連鎖と循環」に会社員という立場ではなく、個人の力で、エネルギーを注いでいきたいと思うようになりました。
『思考は現実化する』
過去の自分が、思って考えて想像してきたことが『今』現実になっていて、
これから先も現実化していくっていうこと、
その為に目的地を決めて進んでいくっていうこと!
『一つの関節から、
元気の連鎖をつくる。』
そういう思いで活動しています!
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